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<<   作成日時 : 2012/01/17 13:48   >>

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あれからもう17年ですか。
月日の経つのは恐ろしく早い。

当時、僕は大阪に住んでいた。

あの大地震にも関わらず、近鉄電車だけはなぜかそれなりに動いていて、近鉄沿線に住んでいた僕はとりあえず会社へ向かっていた。
地下鉄は動いてなくて、難波から本町のオフィスへ歩いて行った。
会社へ着くと、人はほとんどいなくて、先輩や同僚の状況も全くわかわない状況だった。

とにかく仕事なんてしてる場合じゃなかったし、会社は午前中で帰っていいよ、と言われた。

先輩と心斎橋筋商店街を難波方面に歩いていく最中、心斎橋筋にある電気屋(だっただろうか?)のテレビでは凄まじい被害状況を流していた。

宝塚に住んでいる先輩がいたのだけれど、生死も含め状況がわからない。

同じ寮に住んでいた先輩達と相談し、その午後にすぐにスーパーへ行った。
ミネラルウォーターを箱で買い、宝塚へ。

本当ならば車で行きたかったところだったのだけれど、交通規制が敷かれていたため通行できない、という情報があり、電車で向かった。

鶴橋から環状線、阪急に乗り換えて宝塚へ。

ミネラルウォーターの箱は重かったけれども、それでも何とかして届けないと、それから無事を確認しないと、という思いの方がはるかに強かった。

阪急電車が北へ北へと向かう中で、倒壊した家屋や、ひび割れた地面が徐々に見えた。
それは恐ろしい景色だった。

物資を届けに行くと、先輩は怪我もなく無事だった。
先輩は女性だったんだけど、僕達の姿を見ると、本当に嬉しそうに、『ありがとう』と言った。
分譲のマンションはひびが入り、ライフラインは死んでいる。
笑顔なんてできないような状況だったけれども、先輩は『水!水が欲しかったのよ!助かる!!』と笑顔で僕達に言った。

今から思えば、あの時、あの状況で誰かのために動けたことは、僕の歴史の中ではとても誇らしいことである。
そんなに大したことはできなかったし、休日を返上してボランティアに行ったり、ということもしなかったけれども(ボランティア供給過多だった)、少なくとも一人の先輩に対しては動くことができた。


そして、あれから17年だ。


犠牲になられた多数の方々の冥福を祈ろう。


そして、忘れないようにしよう。
忘れないようにするというのは、決して被災者の方のためだけではない。
自分が恥ずかしくない行動を取るために、自分の誇りを持つためにだ。


そしてあれから10ヶ月。

10ヶ月前は、これまた大したことはできなかった。
でも、その時々で僕にできる範囲でやるべきことはやったつもりだ。

東北に関して言えば、まだまだ支援が必要だし、それを忘れてはいけない。
復興にはまだ時間がかかる。

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